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日本トキシコロジー学会について

 日本トキシコロジー学会は、以前に日本学術会議の会員を中心に半ば私的に運営されていた毒性研究会から発展して、組織体としては1975年に「毒作用研究会」、1981年に「日本毒科学会」、そして1997年には今日の名前である「日本トキシコロジー学会」に名称を変更した。会の名前は、その時代背景にある国内外の社会情勢や科学技術の進歩により変化してきたが、本学会の概要は当ホームページに詳述されているのでそれを参照されたい。

 本学会(の前身)は、先ず"学"により組織化された。即ち、生命科学系の学際的学術組織として誕生したのが「毒作用研究会」である。1960年代から1970年代は国際的にも、国内においても大学改革を目指した動きが激しく、日本では東大医学部での学生処分に端を発して全学的な学生運動が高揚して全国に波及し、医学部での最大矛盾を抱えた臨床医学における関係者の動きは不十分で、この毒作用研究会への組織的参入は見送られた。臨床中毒の問題は、サリドマイドの薬害、水俣病やイタイイタイ病、スモンやカネミ油症、等々多岐に及んだが、結果的に肝心の臨床医学研究者の積極的な動きは図られなかった。日本と韓国の間では日韓毒科学会が定期的に開催され、これがアジアトキシコロジー学会へと発展的に解消する最中にも、救急医学の関係者が大勢加わって組織化されていた「日本中毒学会」との将来の合体を視野に入れた、第一回アジアトキシコロジー学会の共催は結実されなかった。

 本学会の極めて重要な転機は組織的な"産"の参入であった。1980年代後半の日本毒科学会学術年会への参加者は極めて少なく、学術年会の継続が危ぶまれる事態にも立ち至った。この危機を救ったのが日本製薬工業協会の方々で、同基礎研究部会総会の開催場所と開催日を本学会の学術年会に合わせて下さり、以降の当学術年会は多くの参加者を恒常的に得たばかりではなく、学会内容の充実が図られた。これが1986年に東京での第4回国際毒科学会の開催を可能にした。学会の理事や監事を始めとする役員や年会長も学にとらわれず、産からの積極的な参加が図られるに至った。

 医薬品開発の国際調和と科学のグローバリゼイションの動きが加速されて、必然的に"官"の参入が図られた。これには特別な配慮を一切必要としない極めて自然の流れとしての動きが得られた。本会への国立医薬品食品衛生研究所の研究者の積極的な参加が何にも増して心強く、学会認定トキシコロジスト制度の確立をも可能にした。併せて、トキシコロジーの標準となるテキストやトキシコロジ事典などの発行が出来る程の会としての力をつけるに至った。更に、文科省の科学研究費補助金を始めとする国の研究費配分を担う審査委員の選出を本会に要請されるなど、諸方面への影響を及ぼすまでにも本会は発展した。加えて、学会の主たるテーマを含むToxicogenomicsに関する大型の国家研究プロジェクトの推進にも会のメンバーが加わるなど、会の力量は確実に増している。

 日本トキシコロジー学会は、会の活動に社会との接点を多く抱えこまざるを得ないが故に、困難な運営を迫られる事も予想される。公害病の認定や環境基準値の策定、等は政治的な力が介入する余地が多く、会としての意見の一致を持った対応が必ずしも図られ得るとは限らない。科学に軸足を置いた対処が優先されるべきは当然である。

 トキシコロジーは極めて学際的科学である。人類の将来、社会構造のあるべき姿の追求、等は科学に根ざしたものを支えにすべきではあるが、現在の本会の力量で果たして支え切れるかは疑問も残る。従って、今後は本会に倫理を含む人文系科学、並びに上述した臨床科学、を如何に組み込んでいくかは大きな課題である。現在の諸学会は今なお細分化が進んでおり、所謂縦割り的科学組織であるが、これに対し、横断的統合の機能を持った組織こそが我が日本トキシコロジー学会の近未来像ではあるまいか。

元理事長 遠藤 仁
*2012年1月より、日本毒性学会に改名
(2006年9月 受理)